第9回 小江戸大江戸200K 完走記
204キロという距離を聞くと、皆さんは何を想像しますか?
・車で行く距離
・東京から静岡の距離
・自転車なら行けるぜ、な距離
・出張費が適用される距離
いずれにせよ具体的に想像できる距離ではないはずです。
それを足で走るとなると100キロのように数字上キリがいいわけでも無く、
益々想像が困難になります。
そんな想像がつかないことで逆に204キロマラソンを申し込んでしまったランナーの奮闘記です。
事の始まりは4ヶ月前。
毎年5月に100キロマラソンに出場していましたが、
周りも、ああまた100キロね、くらいの反応になってきていて、
何かもっと刺激が欲しくなってしまうという。
そんな中で200キロマラソン、小江戸大江戸200Kの存在を知りました。
制限時間は36時間。
うーんよくわからないけど、これはやるしかないと、
15分で枠が埋まってしまったオンライン申し込みを乗り越えて出場を決めました。
そしてそこから4ヶ月。
まずはどうすれば完走できるのか研究から始めます。
巷には驚くほど200キロマラソンを完走するマニュアルが溢れていません。
数少ない過去完走者のブログを熟読し、その皆さんの100キロマラソンや5000メートルのタイムと
自分のを見比べ、時間内での感想がぎりぎり難しそうなことを数字で理解。
完走に向けてテーマは3つ。
①5000メートルのタイム設定
②ゆっくりとでもずっと身体を動かせる体力をつける
③不整地を走り細かい膝とお尻の筋肉を鍛える
20年以上フルマラソンは走ってないので、フルマラソンの時間は持ち合わせてないのですが
過去の42キロの通過を見ていると自分のタイムは5時間くらい。
これは信号がある道の練習や、100キロを走っている途中の記録なのでがんばって4時間半くらいでしょう。
過去完走者は大体3時間半以内で走られてます。
そこで目標を3時間半でフルマラソンを走れる目安とされる5000メートル21分50秒、これを切ることを目標としました。
結果レースの2週間前の計測で21分4秒を記録。
ちなみにこれは走りではなく、プールで息継ぎなし25メートルを何本も泳いだりして
肺と呼吸筋を鍛えていたら自然と速くなりました。
2つ目。ゆっくりとずっと走れる体力をつける。
これは短い距離でもいいから毎日2回走るようにしました。
通勤に5キロ、帰宅に5キロ。
毎日走って月間走行距離は300キロに。
しばらく続けていると少し余裕が出てきてプラスして、週末にさらにゆっくりと50キロ走ったり。
さらに中2日あけてまたもっとゆっくりと8時間かけて50キロ。
不思議なもので繰り返していると50キロ程度では筋肉痛も出なくなります。
ちなみにこれはコースの試走も兼ねていて一石二鳥です。
残り1ヶ月というところで仕上げの80キロを12時間でやはりゆっくり走って耐性をつけました。
3つ目の不整地は、所謂トレイルのようなもの。
歩幅を変えて走らざるを得ない環境で細かい筋肉を鍛えます。
ただ山に行く時間はないので、河原のアスファルトがないところを走ったり、代々木公園のトレイルを走ったりしました。
そして迎えた2019年2月22日。大会前日。
普段は仕事の休みが取りづらく前泊はしないのですが、
会社の理解もあり半休を取得して川越へ。
スタート、ゴールの蓮馨寺で前日受付を済ませます。
宿泊は川越市内のカプセルホテル。
どこでも寝ることだけは昔から得意。
トンカツ食べて、前日準備をして、サウナに入って、23時に寝ました。
この日の運動はウォーキング8キロとスイム300メートル。
大会当日。2月23日。
朝5時起き、サウナに入って、ストレッチ、エネルギー補給を済ませます。
6時半にチェックアウトし、途中の富士そばで朝食。
朝7時に会場に着いて、荷物を預けてスタートに備えます。
歴戦の猛者たちが勢ぞろい。
ウルトラマラソンはマニアックな世界なので普段数少ないSNSやブログで先人たちの工夫を勉強していますが、
生きた教材が数多くいることに興奮を隠せません。(これまでの完走者はゼッケンの色でわかるようになってます)
午前8時いよいよスタートです。
204キロ、36時間のクレージージャーニーが始まります。
レースは大きく2つのコースに分かれます。
前半は川越の北(熊谷、寄居)を走る小江戸、
後半は川越の南(東京都内・皇居)を走る大江戸。
小江戸が91キロ、大江戸が113キロです。
スタートして、川越の街をランナー達が駆け出します。
20キロ地点に埼玉県のマスコット、コバトンがいました。
やがてコースは荒川河川敷に。
日本一の川幅があるポイントもこの先あります。
桜の時期はきれいだろうなという桜堤。
しかしながら完全なる向かい風10メートルに全然進みませんでした。
エイドステーションは大体20キロ毎にあって、
温かく美味しい食事やマッサージを提供してもらえます。
食事と飲み物は補給しつつも、完走狙いの僕は長居をせず各エイド5分以内で辞去しました。
コンビニエンスストアも使えますが、
これも時間ロスに繋がるので入ったのは1回だけ。メロンパンを買いました。
本当は肉まんを食べたかったのですが、速いランナー達で既に売り切れてました(笑)。
ぐるりと回って小江戸91キロ地点に帰ってきたのが13時間42分。
予定スケジュールより1時間遅れ、でも元々3時間のバッファを見込んでいたので、そういう意味ではまだ2時間余裕があると自分を落ち着かせて大江戸コースへ出発。
川越のエイドではインスタントラーメンを頂きました。
マラソンと違って固形物をしっかり食べるのが
ウルトラマラソンでは必要です。
よく炭水化物を直前に多く摂る、カーボローディングをするの?と聞かれますが、この距離だと全くしません。
少しマニアックになりますが、カーボローディングで人間が貯められるエネルギーは30キロ程度(or3時間程度)で、よくフルマラソンで言う30キロの壁はこのエネルギー切れで起こります。
このくらいの距離だと逆に脂肪をエネルギーに変える必要があり、それができるよう体質改善をしました。
ココナッツオイルやナッツ類をたくさん食べて中鎖脂肪酸を食生活に増やしました。
その結果、
体重は78キロ→73キロ
体脂肪は12.5%→9.1%
この日もトレイルバターと言うナッツをふんだんに使った食べ物をポケットに忍ばせて、1時間に1回飲んでました。
午前0時〜4時という眠くなる時間帯を走ります。
眠くなったらコンビニで眠眠打破を買うつもりでしたが、眠くならず。
これは1週間前からカフェインを断った効果だと思います。
逆にこの日はジャスミンティーとコーラを投入し、久しぶりのカフェインに軽い興奮状態。
また少しお話しした完走経験ランナーの方から、スルメを噛むと眠気が飛ぶと教えていただき、
スルメもいただいて実践してました。
皆さん色々と考えられてます。
とは言え多少幻覚も見えるようになり、
疲労は確実に身体を蝕んでいきます。
午前4時に128キロ地点東中野近くの成願寺エイドに着きました。
予定より1時間遅れは変わらず良い調子で難しい区間を走れました。
成願寺エイドの名物の鹿カレー絶品です。
川越以外のエイドは基本5分ちょっとで辞去し、時間を節約します。
もう20時間走り続けているので精神状態ギリギリですが、スタッフ、ボランティアの方に
礼を欠かすことのないようにだけ心がけました。
そして再び走り出します。
普段は打ち合わせで来る東京都庁通過は午前4時。
その後は日も出てきて、皇居や日本橋を走ります。
東京マラソン以上に東京を満喫できる、既に150キロ走ってなければ楽しいコースです。
100キロマラソンの経験で大体25キロ毎に体調が激変するのですが、
200になると10キロ毎にいきなり走れたり、
一歩も走れない気分になったり。
風邪のように喉が痛くなったり。
粘り強く続けていればまた楽になるので、
回復期を信じて前に進みます。
浅草から赤羽に。
魔の階段。
初めて座り込みます。160キロ地点。
既に走り続けて25時間以上。
痛み止めを飲んで再度走り出します。
左膝の痛みもあり、歩きの比率が徐々に高くなります。
ラスト20キロ。高島平から河川敷に。
ここからは同じペースのランナーと早歩きしながら情報交換します。
ラスト10キロ。ここまで来ると歩くこともままならず、痛み止めもきかず、
ここでランニング人生が終わってもいい、という高校野球部的な気合いのみで一歩一歩、歩を進めます。
もはや足裏が路面に触れると激痛が走る状態に。
制限時間までは1時間半の余裕がありますが止まったら終わり。一番精神的にきつい区間でした。
来年はこの区間もちゃんと走りたいなぁ。
34時間35分、ゴールの川越蓮馨寺へ帰還。
204キロの旅の終わり。
408人中175位でしたが、順位ではなく、自分との闘いを制したという気持ちです。
ウルトラマラソンの距離になるとどんな選手においても完走が確約されているわけではないので、
常に自分との戦いで、必ず発見と反省があります。
多くの同僚や仲間が応援に駆けつけてくれて、
SNS上でも声援をいただき、やり切らねばならぬと思っていたので、ひとまずその安堵感が大きかったです。
東京から静岡のエコパスタジアムに行くくらいの距離を走ったと思うと感慨深さはあります。
走る前は204キロを走ると、見える景色が変わると思ってました。
それはその通りで、このレースは204キロの他にも230キロ、113キロ、91キロの部があるのですが、
距離の長短でなく、それぞれの距離で、それぞれの人がベストを尽くしていることを道中、
素直に尊敬できるようになりました。
走ることは単純で、誰もが経験があるため、
その痛みやつらさは誰にでも想像ができます。
それぞれが自分の挑んでいる中でベストを尽くしています。
そこは他人との競争や比較でなく、自分自信と向き合い、戦う作業。
競技スポーツ時代には見えなかった、そんな新しい景色が見えた204キロでした。
不思議ともう走りたくないという気持ちには一度もならなかったです。
今も早く走りたいのですが、回復にはしばらくかかりそうです。(苦笑)
リカバリーについてはまた別に記載したいと思います。
最後にですが、大会関係者の方、ボランティアの方、私設エイドの方、応援して頂いた方、お話しさせて頂いたランナーの方に御礼申し上げます。
終