激走!中山道315km⑥滋賀近江八幡〜京都三条大橋(45km)
長野塩尻を出て6日目の朝。
最終目的地の京都まで後45キロ地点、滋賀県の近江八幡まで来ました。
この辺りから婆裟羅な城、安土城が見えていたと思うと感慨一入です。
朝の6時は冷え込みます。
バラクラマ(目出し帽)を着用し走り始めます。
11月は寒暖差が激しいので朝夕は冷え込みますが、
昼はぐっと気温が上がります。
この時間だけの辛抱……。
この6日間、時には商店がない区間もあり、
それはこのトレイルバターで凌いでました。
近江八幡を出て中山道と合流し、暫くすると竜王かがみの里近辺に、
牛若丸が追手が迫っているのを察し、鏡池の岩清水を鏡にして前髪を落としたという
伝説が残っています。
この池を鏡代わりに使ったのだそう。
少しだけ水がありました。
そしてもう少し先には平家終焉の地。
壇ノ浦の合戦に敗れた平宗盛親子がここで処刑され、
首は京都に送られたといいます。
胴体はここで葬られました。
諸行無常の響きあり。
少しずつ日も高くなってきました。
なかなかの画伯っぷり。
背くらべ地蔵。
背が高いお地蔵さんと、低いお地蔵さんがいて、
低い方の身長と同じになれば子どもは一人前とみなされるらしいです、この辺では。
この辺は住宅街で、野洲駅がすぐ近く。
野洲高校と言えば担当していた2006年の全国高等学校サッカー選手権優勝校。
これで「やす」を「のす」と読まないことを覚えました。
酒蔵、宇野勝酒造。
元野洲町長だったとか。
この「宇野」の秘密?がもう少し先で明らかに。
野洲川を越えて、
守山宿に入ります。
守山宿の街並み。
「うの家」
先ほども宇野姓はありましたが、こちら宇野元総理のご実家でした。
今宿一里塚。
ここまで立派なものも珍しいです。
ちょっと良いなと思った標語。
「心はOPEN、戸はSHUT」
高いビル群が出てくるとそこは次の宿場町、滋賀県の草津宿です。
江戸時代からうばがもちが人気のお菓子です。
家康も芭蕉も食べた柔らかい餅です。
中山道に戻るとアーケード街を進みます。
トンネルがあります。
実はこのトンネルを反対側から覗き込んだことが6年目にあります。
6年前に東海道を踏破した時にトンネルの反対からいつか中山道も踏破したいと思っていました。
ここから先は東海道も中山道も同じ道なので勝手知ったる我が家のようです。(言いすぎ)
合流地点とトンネル。
草津宿の本陣は公開されています。
吉良上野介も浅野内匠頭も数日差で宿泊していたという本陣です。(その宿帳が残ってます)
とても綺麗に保管、保存されています。
日本酒、道灌蔵。
太田道灌の親戚が営む太田酒造。
伯母川を渡ります。この辺で熱烈な応援を頂きました。
全ての方の応援が力になるそんな旅路でした。
中山道の文字がないのは悲しいですが、
同義語ということで東海道を行きます。
いっとう美しい橋が。
そう瀬田の唐橋です。
琵琶湖にかかっています。
この日の天候も最高。
琵琶湖沿いを走ります。
足取りも心なしか軽くなりました。
琵琶湖から京都方面を進むと義仲寺。
「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」
大津宿に入ります。
三権分立の授業で出てきましたね、大津事件。
ここは2階建ての建物が並びます。
ロシアの皇太子が襲撃された大津事件の発端の場所。
やはり2階建てが多い。
マンションにも2階部分が特別に設えられています。
これは大津には巨大な山車があって、その上からチマキのようなお守りを巻く風習があります。
その出汁の高さが丁度2階部分くらい。一度見た事がありますが巨大山車が練り歩くのは壮観です。
路面電車と合流したところで、左折すると京都方面。
一山越えなければなりません。
坊主めくりの最強坊主、蝉丸はこの周辺に住んでいました。
蝉丸神社。
百人一首では
「これやこの ゆくもゆかぬも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関」
その逢坂の関。
大津宿からの山道の頂上です。
上りきると後は下り。
丁度そのスタートに有名なうなぎ屋の「かねよ」があります。
また別の蝉丸神社も。
月心寺というお寺の中には走井の井戸があります。
この水を使った走井餅が有名で浮世絵にも描かれています。
山科の辺りに分岐道があります。
髭茶屋追分。
左に行くと大阪、右に行くと京都。
何度かここを走っていますが、石の道標が壊れてたりで、
修復の跡が見て取れます。
山科の景色。
後は下り坂。
旧街道を走るようになってから、
ドイツ生まれオーストラリア育ちの自分と日本とのつながり、
そして日本の歴史でのつながり、人と人とのつながりを強く感じるようになりました。
この旅でも数十名の方に声援を頂き、お店ではおまけを頂き、
旅人と一期一会の会話を楽しみ助けられてきました。
中山道は、孤独を教えてくれて、理想を教えてくれて、そして宇宙を教えてくれました。
一人峠を越える孤独。
歴史とともに歳を重ねた宿場町、しかしそこに残る風習や産業、そして将来的な人々の理想。
広大な大自然を目の当たりにし、夜は星が煌めく空。
その全ての光景に日本という色を見た気がします。
京都・三条大橋。
ゴールです。
6日間315キロ。
長野、岐阜、愛知、滋賀、京都。
5つの県を跨いできました。
よく新幹線に乗れば数時間なのにと言われますが、
それは半分合っていて半分間違っています。
走って旧街道を行くと、その村の、その町の、その駅の文化や自然、人と触れ合います。
それはその駅に降りないと触れられません。
そのために新幹線を1駅ずつ、在来線を1駅ずつ降りていた方が走るより時間が掛かると思います。
この壮大な現実性の連続こそ、ランニング旅の醍醐味です。
ラグビーワールドカップ2019日本大会終わりに初めたこの旅は
ラグビーワールドカップのプール組み分け抽選会でお世話になった京都の白崎さんとの乾杯で終了です。
当時は仕事を終えた打ち上げの3次会でラーメンを食べたので今回も。(笑)
オリンピック・パラリンピックが終われば今度は
東海道と中山道を通って京都を往復する1000キロの旅にチャレンジしようと思っています。
自分の脚でしか見られない風景。
今後も中山道の良さを伝えていきたいと思います。
(終わり)