激走!中山道315km⑤岐阜関ヶ原〜滋賀近江八幡(55キロ)
ラグビーワールドカップを終えて300キロの旅に出て、それも5日目。
残り100キロを切りました。
5日目はここ、関ヶ原から始まります。
合戦で有名ですが徳川幕府になってから制定された中山道の宿場町でもありました。
どちらかと言えば関ヶ原の合戦地推しなので、宿場町というよりは戦国ロマンを感じる場所です。
旧街道では珍しいかも知れません。東海道でも桶狭間のすぐ側を通りますが
歴史好きでしたら誰がどこに陣を張ってどう移動したかなど
事細かに案内板がありますし、5キロ位の中に陣地が点在しているので1日遊べます。
他にも源義経の母が命を落としたり、壬申の乱が起きた地であったり日本の歴史が凝縮されてます。
関ヶ原たまり
http://www.osakeosake.com/yoto/tamarisyou.html
関ヶ原の宿場町の風情。
天下分け目の決戦で自身の想いを遂げた地をその後
宿場町に制定した家康はどういう心情で見ていたのでしょう。
中山道の旧道を探しながら走ります。
今の日本に繋がるいくつもの歴史がある街並みは大変静かでした。
もうすぐ不破関です。
藤古川。壬申の乱で両軍が挟んで睨み合った川と言われています。
今は静かに関ヶ原を流れる川です。
鉄道の線路の横の小道を行きます。舗装はされていますが車は殆ど通りません。
人とも会いません。
古を今に伝える一里塚。
中山道は、
東京
埼玉
群馬
長野
岐阜
と続いています。(昨日は宿泊のために愛知に入りましたが中山道から少し外れました)
県道と外れ旧中山道にて県境を跨ぎます。
松尾芭蕉も旅した道です。
正月も 美濃と近江や 閏月
しかし松尾芭蕉の健脚ぶりは都市伝説の忍者であっても驚かない。
国境を挟んで宿泊所がそれぞれあったことから、
寝物語の里と呼ばれています。
寝ながら他国の人と話せたというわけです。
その家来と出会った場所という伝説もあります。
ただひたすら走り続けます。
肉体的には膝の痛みが尋常ではなく、とにかく怪我しないように
致命的な痛みか、ただの痛みなのか見極めながら進みます。
中山道の道標。
自分が正しい道を行っていることがわかり勇気づけられます。
地図を持って、Google Mapに自分で行程を作ってスマートフォンに記録指定ますが、
現在の道として扱われていないところも旧中山道は多く手探りです。
20キロ区間くらいGoogle Map上では通れない道になっていることも驚かなくなりました。
都市に住んでいると見えなくなることがありますね。
中山道・柏原宿の始まり。
もぐさが有名で「福助人形」はここで働いていた番頭・福助が発祥。
静かな静かな朝の柏原宿。
福助が働いていた伊吹堂亀屋。
安藤(歌川)広重の浮世絵にも福助人形が描かれています。
■伊吹堂亀屋
柏原歴史館。地元のカフェとして賑わっていました。(屋外に人は少ないのですが)
ボンタイン珈琲。なんとなく愛知にある幻のトラジャコーヒーを出すイメージ。(笑)
柏原宿西側の外れにある道標。
一里塚跡。
宿場町が終わると再び里山を走ります。
本当に美しかったです、柏原宿。
トレイルのような極上の道を行きます。
膝に優しい。(笑)
林の中を行きます。
もうクマの恐怖はありませんが、猿はたまに見ました。
1人で走っていると怖い時もありますが、未知への興味真がそれを上回ります。
それが旧街道を走ることの醍醐味です。
醍醐味と言えば後醍醐天皇の側近、北畠具行卿が鎌倉幕府討伐に失敗して斬首されたのもこの辺だったらしいです。
お墓もあります。
かわいく着飾った地蔵群。
一度出て来るともう後は雨後の筍状態。
醒ヶ井宿に入ります。
きれいな宿場町ですが、それだけでなく、、、
透き通った清流が宿場町の真ん中を流れます。
ハリヨという希少な魚が住むそうです。
この中山道道中で1番きれいな清流。
顔が水面に映りそう。
100年続くヤマキ醤油。
天然記念物、了徳寺の御葉付銀杏。
葉っぱの上に銀杏が実るとか。
すぐ近くの清流には、
ハリヨと思しき魚影も。
シモフリ肉屋。良さそう。
近江も近いですし。
一里塚。
番場宿に入ります。
長谷川伸の「瞼の母」番場忠太郎のモデルになった、その名も番場です。
先を急いでいたため立ち寄れませんでしたが
忠太郎地蔵もあるとか。
明治天皇の休憩した場所。
大変な旅であったろうと想像します。
番場宿を抜けてまた静かな道を行きます。
下の道路には車列。
きれいな湧水。
土地の湧水はどんなにきれいでもその村に育ってないと体質に合わないこともあるので
口をつけるには相応の覚悟が要ります。
この後ここで何十匹の子連れ猿に囲まれます。
好戦的な鳴き声と言いこの道中で一番肝が冷えた瞬間です。
さらに暗い山道が中山道の道です。
先ほどの猿の惑星から注意しながら走りを進めますが、
ここには全くいませんでした。
摺鉢峠。昔はここから彦根城が見えたのかも知れません。
新幹線からよく見る独創的な風景を自らの足で見る日がこようとは。(笑)
彦根市に到着です。
近江商人の町ですから、商売人の像が迎えます。
ここは鳥居元宿。
少しカーブした道に一際立派なお屋敷が現れます。
江戸時代から胃腸薬を売る薬屋さん。
薬局としても営業されているので購入させていただきました。
少し中も見せていただき。浮世絵に描かれた看板も現存します。
こういう出会いがあるから旧街道を走るのはやめられません。
まるで歴史上の人物からバトンを渡されているような気持ちになります。
小野小町がこの周辺で生まれ、養女として小野美実にここで預けられたという。
中山道とは離れてしまいますが、彦根道からご上洛道(徳川家康が関ヶ原の合戦の後通った道にちなみ)を通ると
織田信長の安土城、石田三成の佐和山城を通るルートとなっています。
江戸時代には参勤交代での使用が禁止され、将軍家やその客人だけが通るルートになっていました。
今回は中山道を完走するのが目的だったので中山道を行きましたが、
次回はご上洛道を通って歴史に触れたいと思います。
高宮宿に入ります。
だいぶ日も傾いてきました。
そう言えば、ひこにゃんの町、彦根。
立派な屋敷が中山道の両端に構えています。
提灯屋さん。
松尾芭蕉はこちらで一泊。
たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子
という句を詠んでいます。
一番好きな飛び出し坊や、飛び出し飛び太0号。
宿場町のベーカリー。
無賃橋。
その名の通り無料で渡れます。
1832年に最初の橋が架けられて無料だったそう。
現代でも渡り賃取られる橋もありますからね。
松並木。
またおいでやす彦根。
彦根市の終わりです。
日暮れて道遠し。
宿場町と宿場町の間。間の宿、石畑。
何か立派な屋敷。
誰だよ伊藤長兵衛って。
誰だよ伊藤忠兵衛って。
1分くらい考えて思い出す。あ、伊藤忠の創業者か!
伊藤忠兵衛さんもそうでしたね。
ここから青山にオフィスを構えるまでに(笑)。
陰から見守る飛び出し坊や。
飛び出す気満々。
飛び出し坊やと飛び出さない坊や。
江州音頭発祥の地。
歌詰橋を越します。
ここは昔、平将門を討伐した藤原秀郷を将門の生首が追いかけてきた場所だといいます。
秀郷が咄嗟に「歌を一首」と将門の首に言ったら、考えあぐねて歌に詰まり落ちた、と。
なかなかユニークな伝説です。
愛知川宿にたどり着きます。愛知県ではなく滋賀県ですが。
近江商人が象られた街灯。
宿場の名残。
何だかわからないけど探検の殿堂が近くにあるらしい。
探検してるよ俺、のポーズ。
橋を渡ると今日の旅路もそろそろ終わりの時間です。
近江商人の町、五箇荘エリア。
かつては織田信長が安土城を構え、この辺から見えたという話も。
最後の力を振り絞って中山道を走ります。
中山道67番目の宿場町、武佐宿。
本日の旅路はここ武佐宿で終了。
ランニング距離は55キロでした。
彦根で有名な近江チャンポンを食べ。
(味は完全にラーメン寄り)
飲んだ後は忘れずに。
今日の旅路で購入した胃腸薬です。
いよいよ明日は最後の目的地、京都を目指します。(続く)